【書評】『ラジオのこちら側で』——最大公約数の好みを流すだけが、ラジオではない

アイキャッチ用画像・ラジオのこちら側で 書評

 最近、日曜日の夕方から夜にかけて、ピーター・バラカンのラジオ番組「バラカン・ビート」を聞くことを、密かな楽しみにしている。6時から8時までの放送なので、放送の直前までに風呂に入っておいて、その後はラジオを聞きながら夕食作り。放送の終盤近くにようやく食べ始めるという具合だ。

 最近になってようやくラジオというものにハマりだしてたのけど、裏を返せば、これまでは今時の若者らしく(?)、ラジオなんて、てんで無縁だった。自らラジオをかけるなんて、まずなし。

 ではなんで今になっていきなりラジオを聞きだしたのかは、自分でもよくわからない。ただまあ、最近になってインターネットの世界にも少々嫌気が指してきたし、かといってテレビなんて絶対に観る気もなし。「そうだ、ラジオでも」といった気まぐれがきっかけだと思う。
 あと、読んでいた本やブログで、同時期にラジオの魅力が語られていたので、感化されたというのもある。(なんだ、ちゃんと理由があるじゃないか)

良質なメディアを増やすためには、受け手側が成熟しなくてはならない

 本書『ラジオのこちら側で』は、ピーター・バラカンが自らのラジオと主に歩んできた思い出を書き綴った本。
 
 子供の頃、家にまだレコード・プレイヤーがやってくる以前はラジオから流れてくる音楽にわくわくしていたと言うんだから、こういう原体験が羨ましい。60年代の、ブリティッシュ・インヴェイジョン勢たちがこぞって聞いていたという「ラジオ・ルクセンブルグ(Radio Luxembourg)」だって、もちろん彼も聞いていた。それを聞きながら寝ちゃったりしていたというんだから、やっぱり羨ましい。

 ラジオ愛に満ち溢れている著者だからこそ、現在のメディアとしてのラジオのあり方には警鐘を鳴らしている。Spotifyなどのストリーミング・サービスが登場してきた背景として、ラジオが果たすべき機能を果たせなくなったからだという。

 良い音楽を聞き手に聞かせる・広める。本来ラジオが果たすべきブロードキャスターとしての役割が機能しなくなったからこそ、「レコメンド」として、ユーザーの好みに近いものを薦めてくれるSpotifyなどがうけた。

そもそもラジオは、最大公約数の好みだけを想定してレコードをかけるメディアではないはずです。ひとりひとりのリスナーのリクエストにも応えられるし、リスナーの電話やメールを直接受けて、その場で曲をかけることも可能なメディアなのです。(196-197頁)

 そうだ。だから無難な流行の音楽ばかりかける番組には嫌気が指して、結局聞いている音楽番組は「バラカン・ビート」だけ。
 
 メディア論。本書を読んでいると、ラジオだけでなく、すべてのメディアに共通して、考えさせられる部分が多くある。良いメディアを増やすためには、それを受ける視聴者側が成熟しなくてはならない。著者はそう書く。

 さて、明日はお待ちかねの日曜日。選りすぐりの良い音楽で、癒されよう。

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