こういう本を求めているんだなあと、つくづく思った。本書を読んだきっかけは、母から「こういう生き方がしたいんじゃないの?」と渡されたのがきっかけだったのだが、読んでみると、なるほど、然り然りであった。
本書は、「21世紀の多拠点居住」についての考察である。本書の1文目で、著者の一人である伊藤氏が、はっきりと述べている。とりわけ、本書のテーマとなっている「フルサト」とは、都市に住んでいる人間のための、もう一つの拠点のことである。
東京をはじめとする都市は、とにかくお金がかかる。生きているだけで金がかかる。一日中、家に引きこもってゴロゴロ寝ているだけで、口座のお金はガリガリと減っていく。正直何もしない日くらい、食うこともお休みしたいくらいだ(断食しろ、 というのは乱暴である)。
だから、働くのである。自分の時間と体力を対価に、労働するのである。住むところと米のために。
しかし、そのわりには、随分とツラくないか? ご馳走を食って、最上級のホテルで寝ているわけでもないのに、対価として提供しているものは随分と大きい気がしてしまう。等価交換じゃ、なくない?(本当の意味とは違うだろうが)
そういった環境で生き続ける都会人には、病んでくる人も当然多い。人のこと、言えない。
帰れる拠り所「フルサト」をつくっておく
だからこそ、都会の人にもいざとなったら逃げ込める場所・セーフティネットが必要なのである。本書のメッセージはこれだ。住む・食うといった、生存のための条件へのハードルが、都会に比べ、限りなく低い田舎に、帰れるところをつくっておく。 死なない自信さえあれば、人間なんでもできる。背水の陣なんていうのは、超特殊のケースだから、常人には当てはまらない。著者の伊藤氏は、こう書いている。
田舎といっても、実家のことではない。実家は実家で、しがらみが多すぎるから、必ずしも心が休まるとは限らない。「生まれ育った地元よりも、しがらみのないよそ者の方が自由に動ける」とも、もう一人の著者・pha氏は書いている。まあそもそも、都市で育った人間には、夏休みになっても帰るような場所がないという人も多いし。評者である僕も、その一人である。というか、実家というものすら、もはやない。
幸い、今の日本、とりわけ地方は空き家だらけである。そういった地方の過疎地に、自分たちのもう一つの拠点をつくろうと、提示する。本書はその実験レポート的な役割も担っている。著者らが自ら、和歌山県の熊野という場所にシェアハウスを運営し、そこを拠点に書かれてる。
なんで田舎でシェアハウスなの? その理由は、365日、ずっとその田舎の家にいるつもりじゃないし、また、ご近所さんもいないような過疎地では、一人暮らしはあまりに寂しすぎるからである。
田舎も都市も一長一短
本書のテーマは田舎に自らの手で「フルサト」(拠り所)をつくることである。しかしそれは、「都市を捨てて田舎に住もう」といった、単純な主張ではない。「まだ東京で消耗しているの?」じゃ、ないのだ。もっとゆるく、「疲れたら田舎に休みにおいでよ」といったかんじである。
「田舎は優しくて、のんびり。都市は冷たくて、つらい」といったステレオタイプを押しつけてくるではなく、都市も田舎も一長一短ということを直視している。「ずっと都会にいると動物的な感覚が鈍ってくるし、田舎に隠居しすぎると思考が閉塞してしまう(p.181)」と、はっきり述べている。0か1か、といった思考法ではないのだ。どちらが良いか、という問題でもないのだ。一つのものや考えに固執するということが、もはや上手く機能しなくなっていると、本書には何度も出てくる。だから、多拠点生活なのだ。
この本は主張がキャッチーでないから、内容が良いわりに熱烈な共感は得にくいだろうなあ、と思ってしまう。今はなんでも、キャッチーで極端な意見ばかり取り沙汰されてしまうから、こういう地味な意見はかき消されてしまう。まあ、つまり、何百、何千リツイートされているようなものほど、近寄るなっていうことだ。乱暴に言ってしまえば。
検索に引っかからなくても仕事はある
都市で疲れた時のための田舎、というと、当然出てくるのが「じゃあ仕事はどうするのさ?」という疑問。田舎での仕事の、具体的な内容については伊藤氏の前著『ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方』に詳しいし、本書にも随所に書かれているからそちらをじっくりと読んでいただきたいけれど、ざっくり言うと、意外に「たくさんある(らしい)」。
「田舎での立派な仕事といえば公務員」というステレオタイプにとりつかれなくとも、案外、そこに行けば小さな仕事がたくさんある。当然、これらはネットで調べてもヒットはしない。けれど、そこにいれば必ずできることがあるという。なんて言ったって、過疎地である。そこに人がいること自体が価値なのである。
君は、そこにいるだけで、価値になる。
これは、「代わりはいくらでもいる」と言われるような都市では、なかなか味わえない充実感だよなあ、と思う。
Pha氏が初めて熊野を訪れた際のことは、以下のブログ記事に書かれている。この記事内で、田舎での仕事の様子についても触れられている。

また、本書の「はじめに」は、両者が交互に書いているが、ともに、ウェブ上に無料で公開している。試し読みがてらに、ぜひ。
□伊藤氏
□pha氏

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