【書評】どんな論文でも書けてしまう技術——どんな長文も、三分割!

 論文。僕はちょうど1年ほど前は、せっせとそれに取り組んでいた。いうまでもなく、卒論である。僕の卒論については、プロフィールページでも書いているが、「1960年代アメリカの公民権運動とソウル音楽がどのように結びついていたか」ということについて、大真面目に論じたものである。自分で言うのもなんだが、結構頑張ったのだ。

 大抵の、大学生活を送った人は、たった一度きり論文を書いて卒業していくのではないだろうか。
 
 と、言ってみたいが、実のところ、最近では卒論を書かなくても卒業できる大学や学部も増えていて、現に僕の大学だってそうだった。だから、大真面目に卒論を書いた僕は、むしろ今どきでは少数派になるのかもしれない。

 僕の周りの音楽関係の友達なんかに聞いてみると、「面倒くさくて」と言って書いていない人の方が多かった。また、実際は書かなくても「書いたことにしてくれる」教授のゼミに通っていた輩もいた。(秘密の話だったけど)

 でも正直そういう人たちを見ていると、勿体ないなあと思ってしまう。せっかく大学に通ったのだったらせめて卒論ぐらい書いた方がいい。大学4年間の学費の半分くらいを、無駄にすることになる。論文を書いた時の経験は絶対将来の資産になるだろうし。

短文に始まり、短文に終わる

 そんな「脱卒論化」を果たしつつある日本の大学生であるが、それと真逆の主張をするのが、本書の著者・鷲田小彌太氏である。「万人が文章を書く時代であり、どんな人間でも論文を書くべき」だと本書の冒頭で述べている。万人とは、文字通り全ての人の意である。普通のサラリーマンやOLだって、フリーターだって、論文を書くべきだと述べているのだ。

 僕自身、大学を卒業してしまい、別にもう大真面目に論文なんぞを書く機会なんてない。だが、こんな本を手に取ってしまったくらいだから、いつかはまた論文とやらを書きたいなと思っている。そして、別に論文を書くこと自体は、大学院なんか行かなくてもいいという当たり前のことに、本書を読むと気が付かされる。

 別に論文を書くことだけじゃなくとも、本書のノウハウは活かせる。普段の生活の中での文章を書く際にも、大いに活用できる。

 著者は、とにかく「短文に始まり、短文に終わる」ことを説く。どんなことを書くにしても、短文で簡潔に書くことが大事だと何度も述べている。この教えは、ブログを書く際にも大いに意識していきたい。僕自身、本来は一文が長くなりがちの人間である。最近は、原稿用紙に手書きしているぶん、文の長さを把握しやすく、歯止めが効いているとはいえ、まだまだ、クセで長くなってしまうことが多い。

長文だって、小さく分割していけば短文になる

 本書で紹介されているノウハウの中で、一番タメになったのが、「三分割法」である。これは文字通り、一つの大きなテーマをまず3つに分割し、さらにその分割したそれぞれのテーマをまた3分割……と、どんどん分割していくことで、どんな長文の論文でも書けてしまうという技術である。

 僕の稚拙な説明だけだと、少しわかりにくいと思うので、本書を引用させていただく。

 「人間」というテーマを設定したならば、まずそれを三命題(テーゼ)に分ける。

    1. 人間はサルだ
    2. 人間はサルではない
    3. 人間は進化したサルではない

 さらに大きな文章の場合は、分けたそのテーマを、さらに三分割していく。
1. 人間はサルだ

    1. 1. モリスの「裸のサル」
    1. 2. サルも「学習する」
    1. 3. サル社会の論理と倫理(日本サル学)

 こうやって、一つの大きなテーマを区切っていくことで、一つ一つは短い文章の塊となり、結果的に50枚でも100枚でも書けてしまうというのだ。このアイデアは、ぜひ今度、何かを論理的に主張する記事を書く際に取り入れたいと思っている。

 全体的には、論文を書くための文章術のため、少しかたいが、ブログを書いているような人にも大いに参考になる内容だ。また、いうまでもなく、これから卒論を書く大学生は、ぜひ一読してほしい。

 SNSの発達で、これだけ「1億総発言者時代」になったのだから、著者の述べるように、皆がもっと論理的な主張ができるようになれば、日本の言論のレベルも、もっと上がると思うのだけど。と、こんなことを若造が下手に書いてしまうと、1億総の「発言者」たちからブッタ叩かれるので、まずは黙って自分から実践しよう。