追悼:ロックンロールの神様、Chuck Berry

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チャック・ベリー音楽

ロックンロールの創始者の一人であるチャック・ベリーが、18日に亡くなってしまいました。ミズーリ州セントルイスの自宅にて、息を引き取ったとのことです。彼の出身地が、同地であることは知っていましたが、今までも、そこに住み続けていたのですね。

 

さすがに超がつくほどの有名人なだけあって、多くの日本のニュースサイトでも、ロックンロールの神様、創始者、元祖などと様々な称号を付けられ、取り上げられていました。

チャック・ベリーという人が、ポピュラー音楽の歴史において、どれほどの偉業を成し遂げた人物であったかについては、それらのニュースサイトでもたくさん書かれているので、僕があえて書く必要もないかもしれませんが、少しばかし、彼について書いてみたいと思います。

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マディ・ウォーターズとチェスでのデビュー

よく知られている話ですが、チャック・ベリーのきっかけを作った人物は、シカゴブルース界の重鎮であったマディ・ウォーターズです。ちょうど、チャックがシカゴを訪れた際に出会ったマディに、チェス・レコードのレナード・チェスに会うことを勧められて、チェス・レコードと契約することに至りました。

 

チェス・レコードといえば、ブルースを代表するレーベルであり、その名からすぐに連想されるのは、マディやリトル・ウォルター(正確には彼は、チェスの傘下レーベルであるチェッカーのアーティストですが)のようなシカゴ・ブルースサウンドでしょう。ですが、チャック・ベリーがチェスから契約した時期、チェスのレコードの売り上げは芳しくありませんでした。そのため、新しい風を呼び込もうと、ブルースとは違うテイストを持ったベリーを、チェスは求めていたのです。

カントリーとチャック・ベリー

1955年に、チェスから発表されたチャック・ベリーのデビュー曲、「メイベリーン」は「イダ・レッド」という、カントリーのフィドル・チューン*を下地にして書かれた曲です。チャック・ベリーを語る時に、カントリー・ミュージックの影響をなしに話すことはできないでしょう。

もともと、彼はデビュー前からブルースのような黒人音楽だけでなく、カントリーの曲も演奏していました。「メイベリーン」の下地になった「イダ・レッド」も、デビュー以前から、人種的偏見がない音楽クラブでの演奏時に、好んで歌っていたとのことです。友人であった、カール・パーキンス曰く、ジミー・ロジャース(白人カントリー歌手の方の)は、彼のお気に入りの一人であり、また彼はほとんどのブルーヨーデル曲と、ビル・モンローの曲を覚えていたとのことです。

ロックンロールのスターへ

デビューした後のベリーの人気はすごいもので、一気にチェスの看板アーティストになりました。時はちょうど、ロックンロールブームの時代。エルヴィス・プレスリーなどと並び、一気にロックンロールのスターへと彼はなりました。

キング・オブ・ロックンロールといえばエルヴィスですが、チャック・ベリーも彼と同じ同じくらい、いや、ことによってはエルヴィス以上に、ロックンロールという音楽に、そして、ロックに与えた影響は大きいでしょう。

 

黒人であったこと、自分で曲を書きそれを演奏していたこと、歌だけでなく、ロックギターの基礎までも築いたこと

 

挙げればきりがないですが、ロックンロールにとって、いや、ポピュラー音楽史において、とにかく偉大な人物でした。

終わりに

最後に、2007年にスイスで行われたライブの映像を貼っておきます。

一曲目が、いきなりスローのブルースナンバーで始まっていますが、黒人女性のブルースハーピストも加わっているもの相まって、かなり渋いパフォーマンス。チャック・ベリーといえば、「ジョニー・B・グッド」しかイメージがなかった方には、なかなか目新しいものではないでしょうか。

 

それにしても、このライブが行われたのがちょうど10年前だから、この時すでに80歳。80歳でこのパフォーマンス、やっぱりロックンロールの創始者は偉大でした!

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*バイオリンで演奏されるテンポの速いダンス曲。

 

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