「目が開かなくなった!」と、流しの水で目を洗いながら弟が珍しく大きな声を上げて言った。
たった今、彼はフライパンで炒めて作り上げた焼きそばをテーブルに運び、さあ食うぞと言った瞬間だったのだ。それがいきなりの惨事になり、数歩の距離にある流しに飛んで行ったのだった。
まさに晴天の霹靂。あまりに突然のことで、
「はあ⁈ なんで⁈」と言うしかなかった。
頭を過ぎるのは「失明」の二文字……。と言っても、そのあとすぐに知ることになったが、左目だけであったので、光を失う悲劇はどう転んでも有り得なかったのだけれども、そんなことを考えている余裕はもちろんなかった。
「救急車でも読んだ方がいいのか⁈」と思った。携帯は自分の部屋に置いたままであった。
水を止め、顔を上げて、頑張って目を開けてみようとしている弟。なんとか薄く開けたその左目は真っ赤であった。タオル掛けに掛かっている使用済みのタオルで顔(もちろん目も含め)を拭こうとしていたので、
「そんなの使うな!」と言って、未使用のタオルを持ってきて、よこした。
その後、「病院行った方がいいんじゃないの」だの会話をしていたら、徐々に回復してきた様子であった。早速謎解きが始まる。
恐怖、「唐辛子の王様」
果たして、原因は焼きそばの具材として入れていた満願寺であった。この満願寺は祖母が屋上で作っていた自家製野菜で、そのおこぼれを貰っていたのだ。先ほどはこの満願寺をGoogleで検索したら——それまでは外来産の「マンガンジー」だとすら思っていた——、なんと「唐辛子の王様」とまで呼ばれているらしい。僕ら二人はこの満願寺のことを「ピーマンもどき」と呼んでいたのだから恐ろしい。
「なぜ満願寺で目が?」と疑問に持たれるかもしれないが、その理屈は至って単純なものであった。料理をした際に満願寺の汁が手に付着していた。そして作り終えた後も手を洗うことなくそのまま食べようとした。その時いつもの癖から、左手中指の側面で左目を一瞬こすった。その瞬間に事件が起こったのだ。
満願寺は「唐辛子の王様」というその異名とは裏腹に、本来辛くない野菜である。(だから「ピーマンもどき」という呼び方も、あながち外れていない)ただこの「本来」が厄介で、中には「ハバネロか!」というほどに辛い個体があったりするのだ。
弟は満願寺を四つほど使い、そのうちの一つが問題の激辛ものだった。さらに不幸なことにそいつの汁が結果的に目にまで届き、数分間の苦痛を味わったというわけだ。その後目が治った後は、鼻がピリピリするだの、指先がピリピリするだの言っていた。満願寺の辛さは強烈だ。
説教するならば、「どんなばい菌が付着しているかわからぬ手で、やたらと目を掻くな!」と、これに尽きる。たまにアライグマかのごとく目をゴシゴシする奴がいるが、怖くて見てられない。
さて、問題の満願寺は四つほど残っている。食材を死んでも捨てない我が家なので、今夜あたり炒め物にでもして使ってしまおうと思っている。正直に言って、なかなか恐怖である。
編集後記
原稿は8月31日(木)に執筆。言うまでもなく、実話である。ただ、この事件にはさらに続きがあって、弟が言うことには、どうやら料理をし終えて食べる前に手を洗ったらしい……。そして、指先がピリピリしたのは石鹸じゃないのか? と自分で疑っていた。どうやら、その石鹸で手を洗って目を触った瞬間、上記の事件が起きたとのことだ。また、その後例の石鹸で再度手を洗った時にも、ピリピリしたとのことだ。もしかしたら石鹸が合っていないのかもしれない。その場合、唐辛子よりもよっぽどややこしい問題である。
ただし、満願寺の一つが激辛ものだったことは事実らしい。また、こんなことを書かなければならないのも誠につまらない話だが、どうか「満願寺を食べると目がやられる!」と言った短絡的思考はしないでいただきたい。満願寺は本来、美味しい野菜である。
また、「この程度で失明とは、随分と大げさな」と感想を抱かれるかもしれないが、僕はこの事件が起きるまさにその瞬間まで、魚柄仁之助さんの食品問題について扱った本で、水俣病だのBSEだのと言った文字を読んでいたので、大げさではなく、マジでこう思ってしまったのだ。
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