敬体と常体——ブログを常体で書いているのは自分の中のリズムが常体だから

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 ブログを始めた時に、ちょいとばかり悩んでいたのが、ブログでの文体について。文体といっても、「村上春樹風」だとか「夏目漱石風」といった高等なテクニックの話ではなくて、つまり敬体で書くか常体で書くかといった問題である。結果としては、今では殆どの記事で常体で書いている。

敬体・常体

 敬体とはですます調のことだ。多くのブログやウェブページは敬体で書かれている。また、一般の読者に向けてわかりやすく書かれた本も、多くが敬体で書かれている印象がある。
 それに対し、常体とは、だである調のこと。ご覧の通り僕はこの記事を常体で書いている。新聞記事や論文ではまず間違いなく常体で書かれている。また、大学の課題として課せられるレポートの類は、必ず常体で書くよう指導される。

広辞苑によると

 せっかくなので手持ちの電子辞書の広辞苑でそれぞれ敬体と常体を引くと、どちらも「口語文体の一つ」とある。うむ、確かにそうだ。むしろ今時文語体で書かれたものなんて、日常的にはよっぽど目にする機会もない。
 もう少し詳しく広辞苑を見てみると、敬体の説明として「丁寧な文体で、話し言葉のほか手紙・児童文学など相手に語りかける形の文章に用いる」とある。
対して常体の説明には「論説文を始め、書きことばに多く用いる」とある。

常体で書いている理由

 初めに書いたように、僕は現在では常体で書いている。初めの頃こそ多くのブログのように敬体で書いていたのだけれども、のちに常体にシフトした。理由は単純で、敬体で文章を書いているとものすごく気持ち悪くなってしまうのだ。自分ではない感じというか、すなわち違和感アリアリなのだ。

 僕はプロフィールページにも書いてあるように、噓偽りではなくマジで卒論を書いたことがきっかけで文章を書くのが好きになった。つまり書くことにハマったきっかけが、常体もいいところの大真面目な論文の文体だったので、完全に自分の中での語調というかリズムが常体で出来上がってしまったのだ。
 もちろん、論文を書いていた際のように、くそがつくほどの大真面目な文体でブログを書いているわけではない。「まあそりゃ」とかいかにも話し言葉(単に自分の口癖)や「なんだよね」といったタメ語文体的な要素も気分で取り入れている。多分この文体こそが最も自分にとっての自然体なんだろうなと思っている。(ただしタメ語文体はあまりやりすぎると、確実に読者がムカつくと思う)

 そういえば現在絶賛休止中のFacebookだが、考えてみれば億劫になった原因の一つに、敬体で書かなければならないという意識があった。というのも僕のFacebookの「友達」には、目上の人——率直に言うならばおじさんおばさん——ばかりだったのだ。この有様では到底、「俺は今日飲んだ。大学の友達と飲んだのだ」なんていう投稿を、写真を添えてポストするのも気が引けてしまう。いや、さすがにこんなのは冗談だけど。

終わりに

 まだまだ常体と敬体について書きたいことはあるのだけでも、ひとまずこの記事はここで締めるとする。次の記事で僕が思う常体と敬体のそれぞれの特徴について書きたいと思う。

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