地元のブックオフで、タイトルに惹かれ、なんとなく手に取ったのが本書、近藤康太郎著『おいしい資本主義』と出会ったきっかけ。そのままパラパラとまえがきを読んだだけで、すぐに面白い本だと感じたので、店を出てすぐにタイトルをメモし、図書館で取り寄せた。なんて書くと、我ながらずいぶんとセコい話だが、現実問題、今はかなりお金が厳しいので、仕方がない。
それはともかく、無事取り寄せて読んだこの本、えらくはまり込んでしまった。
オルタナ農夫を目指して
朝日新聞の記者である著者は、思うところあって東京が嫌になり、衝動的に異動願いを出す。そして、たどり着いたのは、西の果て、長崎県は諫早市の支局。彼がわざわざ東京での生活を捨てて、こんな田舎に移ったのは、「オルタナ農夫」へとなるため。
オルタナとは、もちろんオルタナティブ・ロックのオルタナであり、「主流とは別のもの」といった意味だ。著者はプロの農家として、農業だけで収入を得て、生活をしていくことを目指したのではない。あくまで、本業は新聞記者である。朝の一時間という時間だけで、自分の田んぼをやり、後の時間は普通に記者として仕事をする。たとえ仕事がなくなっても、飢え死なないための、自分一人(著者は、独り者だ)が必要とする最低限の米を生産する、いわば食のライフライン——この語は、現代ではインフラ設備のことを意味しているが、人間にとって一番の命綱はやはり食料だろう——を自らの手で生産するのが、著者の試みだ。
現代の日本人のように、生きていくための生活費を得るために、否応がなく過酷な労働環境のブラック企業で、身をすりつぶしていく道以外にも、我々に生きていく道はあるはず。それが、筆者の徹底した考えであり、現代の高度に発展しすぎてしまった資本主義社会における、主流の生き方とは違う、「オルタナティブ」な生き方を、著者自らが模索した本。
若者にこそ読んでほしい本書のメッセージ
もちろん、本書に対して冷ややかな見方もできる。
前述した通り、著者は朝日新聞の記者であり、出版当時で齢50。田舎は車が必須と聞いて、衝動的に中古のポルシェを買ってしまえる人間だ。ストレートに言えば、平均よりもよっぽど金を持っている。
だから、「所詮は高給取りの戯言」などという、冷ややかな意見もあるだろう。現にAmazonでの本書に対するレビューの中に、そのような意見があった。
だが、問題はそんなところにあるのではないだろうと、僕は思う。
やりたくもないバイトをしつつ夢を追い続けているフリーターや、鬱になりかけながらも、毎朝必死で出勤している若者にだって、本書から得るものはあるはずだ。(と言うよりも、そういう人たちにこそ、本書を読んでほしい)
正直なところ、高知に移住して「まだ東京で消耗しているの?」となどといって、世の中のマジョリティを馬鹿にしている某ブログを読んで感動しているぐらいならば、ぜひ本書を読んでほしい。本書の著者と某ブロガーを比較するのも誠に失礼な話ではあるが、教養の質が、全く比べ物にならない。いたるところに散りばめられている哲学者や、文学作品から引用された言葉の数々に触れてほしい。
最後に、僕が本書で引用されている言葉の中で、最も印象深かったのが、これ。
未来のユートピアを語る者は、必ずその世界の独裁者だ。(ハンナ・アーレント)
(近藤康太郎『おいしい資本主義』河出書房新社、2015年、23頁。)
ちなみに、本記事のタイトルに使わせてもらった「白いおまんま食えれば上等だ」という言葉は、ギャンブラーだった、著者の父の言葉。意味はそのまま、白いご飯を食べられれば充分だという意味。この後に、「白米に塩をかけて食べりゃ、もうごちそうだ」といったような言葉も続く。うーん、身にしみる。
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